I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

生徒の授業を受ける姿勢、そして『学び合い』について

 中間考査の採点中です。内容の難易度も上がってはいるが、確実に生徒たちのなかだるみの部分があって、正確に分析したわけじゃないけど点数分布が二極化している。欠点が多いのが苦しい所。なんとか対策を打ちたいけど、テスト前にテスト予想問題みたいなのをこちらから配布して、これさえやっとけば大丈夫だよーみたいな短絡的なことはしたくない。諦めないように励ますことのほうが大変だけどやるべきだし、公式を覚えて終わり、とかじゃなくて物理なので現象を冷静に分析して考えるということをしてほしい。

 

 ただ、苦手な生徒はとことん苦手である。間違いなく単位を落とすだろう生徒はこの時点でほぼわかる。そりゃ20点とか、返却時につきつけられたらだれだって自分に向いてないと思うし、そこで火がつく生徒なら苦労しないわけです。授業態度は悪くなる。でも見捨てるわけにはいかない。だからといってゆっくり授業を進めるだけでもいけない。100点取る生徒だっているのです。その子たちを放置するのもおかしい。やっぱり考えれば考えるほど生徒40人を一斉に同じ内容を1人の教師が教えるのは厳しくないですか?

 

 1年生の物理基礎を教えるにあたって『学び合い』が有効なんじゃないかと思えてきました。上越教育大学の西川純先生が提唱されている方法論です。正直、大学院のときにちらっと本を読んだくらいなので、あまりわかっているわけではないです。ですが、誰も見捨てないという理念には共感というか、当然目指すよ、って感じでいます。でもいろいろ疑問はあります。例えばいま3年生に教えている電磁気の交流を『学び合い』でっていうのは乱暴な気もす(多分、『学び合い』をやっている人はそうじゃないよっていうと思いますが)。ただ、50分をぼーっときいて過ごす受け身な態度で受けさせるよりは学びの責任を生徒たちに委ねたいという思いがあります。自分たちで試行錯誤して勉強して、内容がわかっていって、次に進むということをしていって欲しい。

 

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

「学びの責任」は誰にあるのか: 「責任の移行モデル」で授業が変わる

 

 こんな本があって、『学び合い』について載っているわけではないですが、学びの責任を教師から生徒に徐々に移行することを目指すものです。この本のオンライン読書会に参加していろいろ話しているうちに、『学び合い』を実践されている方の授業を参観できるチャンスを得たので、勉強してきます。

 

 『学び合い』については、この方法では指導要領にのっている科学的なものの見方を育てることを目指すのは無理なんじゃないかと思ってます。いまのところ。これだけは教えないといけないだろうと思うこともあるのはあるんですが、あやまった理解のまま進むことがあるんじゃないかと。これも『学び合い』なら子どもは有能であるという前提にたっているのでその心配はない、ということになるのかも知れません(有能だとは僕も思っていますけどね)。でもまぁ、教科・科目の特性はあるとは思います。

 ともかく現時点で理解度が低い生徒を救い、かつ、理解度の高い生徒を救い、生徒の授業を受ける姿勢を変える術の一つとして一度『学び合い』を勉強してみようと思います。週2コマの1年物理基礎で1コマくいらいこれでやってもいいかもね。

 

 再来週の月曜日が楽しみです。

 

 

以上、久しぶりのブログでした。

余談ですが、今年もレディクレあたりました。年末が楽しみです。