I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

またまた石井英真先生の文章

 スマホの中に埋もれていたこのページを見て、石井先生の文章がとてもしっくりくる。というわけで引用だけしておきます。

 

高等学校における校内授業実践研究進め方ガイドブック(平成30年3月)

http://wwwc.osaka-c.ed.jp/category/forteacher/pdf/study_guide.pdf

 

 『』内は引用。

 『しかし、授業という営みは、教師と子ども、子どもと子どもの一般的なコミュニケーションではなく、教材を介した教師と子どものコミュニケーションである点に特徴がある。この授業におけるコミュニケーションの本質をふまえるなら、子どもたちがまなざしを共有しつつ教材と深く対話し、教科の世界に没入していく学び(その瞬間自ずと教師は子どもたちの視野や意識から消えたような状況になっている)が実現できているかを第一に吟味すべきだろう。 』

『授業の形式化を回避し、現場の自律的で地に足のついた授業改善につなげていく上で、日本の教師たちが追究してきた創造的な一斉授業の蓄積に目を向ける必要がある。すなわち、 「練り上げ型授業」(クラス全体での意見交流に止まらず、教師の発問によって触発されたりゆさぶられたりしながら、子どもたちが互いの考えをつなぎ、一人では到達しえない高みへと思考を深めていく)を通じて、主体的・協働的かつ豊かに内容を学び深め、「 わかる」ことを保障し、それにより「生きて働く学力」を育てると
いうわけである。そして、資質・能力や AL の根底にある「子どもたちがよりよく生きていくことにつながる学びになっているか」「子どもたちが教材と深く対話する学びになっているか」といった授業づくりの不易にふれる問いかけは、そうした日本の理想の授業像を批判的・発展的に継承していく上での問題提起や一種の「ゆさぶり」と受け止めることができる。』

 

 『学び合い』をしていても気になるところはここで、一人では到達しえない高みへと思考を深めていくことはできるのだろうか?協同学習っぽいことをやっていて満足しているだけじゃないか?ということをこの文章を読んでもう1回考えられたのはよかった。生徒たちは本当に教科の世界に没入しているのか?

 

 『教科本来の魅力に関わって、これまでの教科学習で見落とされがちであったのは、教科の魅力は内容だけではなく、むしろそれ以上にプロセスにもあるという発想である。たとえば、歴史の授業で、教師の多くがもっとも大切にしているのは、一つ一つの出来事やその年号を覚えることではなく、むしろそれらの出来事の間をつなぐストーリーであるとか、それぞれの時代のイメージをつかむことだろう。そのために教師は、教材研究の段階で、教科書や様々な文献資料をもとに、この時代はこのように流れを
考えるとわかりやすいし、楽しいなと、物語をつくっている。そして、歴史の物語を紡ぐ、その思考過程こそ、「歴史学する」ことの本質なのである。しかし、教材研究で教師は歴史学をするものの、授業では、教材研究(歴史学する経験)の結果を子どもたちに語りがちで、歴史学するプロセス自体を経験する機会は、子どもたちに保障されていない。
 更に言えば、その教科の教師になろう、その教科を専門にしようと思ったその原点には、教科の内容が面白いということ以上に、その分野に固有の学び深めや追究のプロセスに面白さを感じたという側面の方が大きいのではないだろうか。そこがおもしろいと感じているのであれば、なぜそのプロセスを子どもたちに委ねないのか。多くの授業で教師が奪ってしまっている各教科の一番本質的かつおいしいプロセスを、子どもたちに委ねていく。ここ一番のタイミングでポイントを絞って、グループ学習などを導入していくわけである。知識発見型授業から知識構築型授業への転換は、学びのプロセスにその教科の本質や魅力を見出す、教科学習観の転換を意味している。

 各教科の一番本質的かつおいしいプロセスをこそ、子どもたちに委ね、ここ一番のタイミングでポイントを絞って、グループ学習などを導入していく。こうして、教科本来の魅力(教科内容の眼鏡としての意味、教科の本質的なプロセスの面白さ)を追求することで、結果として授業はアクティブになっていく。さらに言えば、こうして授業で各教科の知的な楽しみ方を学ぶ機会を持つことは、授業外での子どもたちの自主的な学びや挑戦の種をまく作業ととらえることができる。授業中に数学の解法をめぐって、その論理性やエレガントさなどを議論する機会があることで、一部の生徒たちは休み時間に黒板に残された解法をめぐって議論し始めるかもしれない。また、授業中に新書本などの読書案内がなされることで、一部の生徒たちは、それを読みさらにその分野の専門書などを読み進めていくかもしれない。そうして授業外で全員でなくても生徒たちに生まれた文化的で知的に豊かな生活につながる自主的な学びを、授業において紹介したり生かしたりする機会を持つなどすることで、「こういう姿がかっこいい」といった学びのモデルを構築していく。授業は(授業外の)学びへの導入であって、学びのプロセスを重視することの意味は、その学校の「学びの文化」(背伸びしてめざしたい当たり前)を創るという観点からも捉えられる必要があるだろう。 』
 

 本でもなく、確か大学院に講演に来た時のパワポのレジュメでこの歴史学することの説明をきいてとても納得した。先生が教科して、生徒たちにその結果を発表しているだけである。これだけで授業作りの核になるものが決まるような気がします。

 

 以上、昼にも1本書いたので、忘れないためにほぼ引用だけの記事でした。

2月2日。