I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

ダイアローグ11

 友人との対話も11回目が終了。毎回アウトプットすべきだけどちょっと後回しになってしまう。今回は特に、いろいろな本の内容や実践したことなどが混ざり合って整理された感じがあったので記録すべき、と重い腰をあげてブログを更新しました。そしてやはり書くことによってさらにまとまって、自分の考えになっていっている気がします。本を読んだり、話したらとにかく書くべきだよな。何度手帳に「とにかく書く!」とメモしたことか...。

 

 本題。

 いろんな話をしましたが、自分がこの本の「10章 今の現実」の内容を読んだことから話が広がりました。

 

 

 

 この本は分厚すぎるので、てきとーに興味が出たところから読んでます。

 

 566ページに「問題のすり替わり」の話があります。誰もが知る問題のすり替わりとして、ハイ・ステーク・テスト(アメリカでの進路を決定づける試験のこと。この本は邦訳されたもの。)で学校の成績が他校よりも低い場合、国家・州法・保護者などなど、様々なところから点をあげろとプレッシャーがかけられるわけです。そこで、応急処置がとられる。一旦テストが終われば大抵の生徒はその機会に学んだことを忘れるにも関わらず、です。このような場合、悪循環に陥り、さらに応急処置が行われ、しかも時間が経つにつれ応急処置の効果は薄れていくと説明されています。本来すべき解決法(根本的解決)はかなりエネルギーが必要で時間がかかり、そして様々な考慮も必要である、と記載されています。

 

 話題になったのは特に生徒指導において、宇野さんの本のような未来志向のことばがけを常に行えたらよいが、応急処置的に強い言葉になってしまうときがどうしてもある。

 

 

まだまだそうしちゃう我々若手が未熟ではあるのだけど...宇野さんの言葉は根本的解決・長期的に成長する、というかその学校に在籍中に成果がでるかわからない可能性さえある指導、と自分は感じるところもありました。もちろん、宇野さん自身はそんなことないと思うんですよ、短期的にも成果がでてるはず。前回友人と話したときに、新任の先生がこの本だけ読むと崩壊するかもなーと言ってたのですが、とても暖かい言葉・指導なので下手するとやんちゃな生徒につけいられるというか、好きに何でもできるじゃんって思う子がでるかなって思う部分もありました、教師が言うべきタイミングを逃したりしてると。でも、新任に限らずそういう状況になることってどんな先生でも怖くて、むしろベテランほど恥ずかしいと思ってしまって、そういう状況になってしまった場合には力で押さえつける指導があるし、むしろ始めから力で押さえつけておけばそうならないのではと考えて厳しくする教員が多そうです(もちろん、一概には言えません。だからこそ反発するというクラスもあると思うので。まだまだj自分がベテランの技を見極められてないだけかもしれません)。ともかく何が言いたいかというと、宇野さんのような指導よりもやはり応急処置的な、何度も同じことが繰り返されるような指導を現場はしがちなのである。というか実際よくみてきました。それはある種、指導してますよというパフォーマンスができてしまう面だってある。時間がかかる根本的解決では、すぐに効果がでないので本当に指導しているんですか?と周りから言われる可能性がある。こういった言葉に管理職など、上の立場の人は弱い。そのことも含めて次の話。

 

 友人は、失敗に対する寛容さが必要、とのこと。誰が寛容になるべきかというと、保護者・同僚・管理職・教育委員会などなど...学校に関わる人すべてですね。マスコミだってそうかな。もちろんいじめやその他重大事故を全国的に報じるのはわかるのですが...このあたりでとめときましょう。そういったことが報じられると学校に対する不信感も募るわけで。人の成長って、というかそもそも人って当然全員違うわけで、本来人が育つ過程、スピード、きっかけなども違う。

 

 (木は全部違う。当然人も違うって話の本。宮大工の方の話)

 

時間がかかるのが必然的なはずだけど、やっぱり不寛容な部分がある。これにどう対抗するか...。対抗って考えてる時点でダメなのかもな。良いチームは短期的にも、そして本来進むべき長期的な方法も使って成果が出せるはず。そんなチーム・組織になるって並大抵なことじゃないな。そういった意識がはじめから共有できてる組織があれば違うかもしれないが...軽井沢風越学園ってどうなんかな、とはやっぱり気になるところ(当然どんな組織であってもそんな簡単な話じゃないと思ってます)。

 

 学校における失敗って簡単にあげるならいじめ、学力低下、表立った成果の低下(進学実績など)などなど、誰でも思いつくならこういったところがあるんですが、自分は最近はもはやいじめなど、その生徒を深く傷つけない事件が起きないなら、それで学校はいいのでは、くらいに思っています。そして自分に自信が持てるってことができればベター。という考えを最近持ってるのは、その目の前の生徒一人一人に本当に機能する教育って在学中に確認できるかなんてわかんないじゃないですか。短期的にも効果がでる、が理想かもしれないけど、やっぱり理想。こうやればいいんじゃないかなー、いややっぱダメだったか、じゃあこれは、って色んな人が目の前の生徒を置き去りにせず考えて実践している。多分、これだけでかなり教育効果あると思えません?楽観視しすぎ?(笑)。でも、目の前の先生があーだこーだ自分たちのことを考えてやってくれてるってことは、きっと生徒たちは感じるんじゃないですかね。そういう部分は信じたいですよね。だからこそ生徒の前では元気でいたい。そして、生徒の前で教師同士が無駄な揉めごと(建設的な批判ではなく、ただのモメゴト)はすべきではないと思います。ともかく、教員が生徒にこんな実践してやりたい!これがおもしろいんじゃ!くらえ!みたいな(笑)、それが一番いいのではないか、そしてそれが一人の教師だけじゃなくてゆるやかに同僚と共同して協力できてる関係性・チームができると相乗効果でどんどん良くなる、それが最近の考えです。これ書いてますけど自分で、かなーーーり時間がかかるけど組織開発の根本的解決の一つだなって思いました。根本的解決なので、やっぱり簡単に組織には浸透しませんね。

 

 このへんの話をしていてさらに思い出したのが、過去に高橋一也さんのオンライン講演をきいたことがあるのですが(高橋一也さんのnoteはこちら)、

Kazuya Takahashi | 髙橋一也 3分で読める実践型学習理論・脳科学コラム!|note

 そのときに今後伸びる学校(そんな言い方だったと思います)は、伝統校(大阪でいう北野とか)、どんどん新しいことをやるN高など新興校、そして「教員がやりたいようにやってる学校」。これ、詳しくはあんまり覚えてないんですけど、そのワードは覚えています。さっきの段落の内容のような感じの解釈で間違ってないんじゃないかと思ってます。独りよがりではなく、ゆるやかに他者とつながり、実践を共有、お互いが承認しているような学校。そんな響きだけで、働きたくなるような...。

 

 そして最後の話。校長や管理職って、このような組織風土を作ることが仕事ではないでしょうか。やりたいことをやるんじゃなくて。でもよくあるのが、応急処置的なことにしか手をつけなかったり、上がやりたいことをやってちぐはぐになったり。無論、やりたいこと(だけでなく学校としてすべきだったこと)をどんどんリーダーシップをとってやっていき、成果があがった学校もいっぱいあるはずです。箕面とかそんな感じかな(これまた軽い感じで当事者が読んで違ったらすみません)。

 

 

ただでさえリスク管理のために細かい作業に時間をとられたり、その他諸々の雑務で時間がなかったりするのに、ただ管理職がやりたいだけの本質的じゃないことをやらされるとたまったもんじゃないですよね。

 

 という、こんな話をしていて、ちょっと緊急の用ができたので終了。でも、こんな感じの話、よくあることじゃないですか?自分でまとめながらあるあるじゃないかなーと思いました。さて、ここでさらに考えるべきことは、

1.学校全体までは考えないでいいので、すこし動かせそうな自分の周りの小さな組織において応急処置だけに陥らず、例えば5年後・10年後にためになるようなコト、短期で結果がでないようなコトを続けていくにはどうすればいいか

2.そして学校全体に広がっていくにはどうすればいいか

ではないかなと思います。多分他にもいっぱいあります(何か面白そうなことがあればぜひ教えてください)。

 

 1.については、まずはチームとしての関係性づくりが一番じゃないでしょうか。これにはこのブログでも何回か出している、長尾さんの本が自分の中で強く印象に残っている。

 

 

そして常に今回のこれは応急処置であって、根本的解決は別だ等、いま行っている方法に対して、チームとして意識的になることが重要ではないでしょうか。これって、応急処置か、根本的解決か、て話が出るだけで全然チームの質が違うような気もします。

 

 2.も今後は考えていかないといけない。30代になったので(笑)。それなりに立場が必要で、自分がその立場にないなら、その動かせる立場の人を動かすコミュニケーションが必要かと思います。その人にとって得であると思わせる話術といいますか。もしその上の立場の人が出世したい、成果をあげたいと思ってるならそれができるように仕組みつつ提案をするというか。

 あと、管理職がやりたいってなってることが本質的じゃない場合、それをかわす方法をとるのも大事かも。そんな仕事してられん、でも意味ないって言っちゃうと関係性的に難しい...なんとなくこれ思い出した。少し話がそれますけど。マクドのアプリの話。

 

 最後。そもそも根本的解決すべきこと(目の前の生徒をみて、分掌など小さめの組織で、学校全体として)は何なのでしょうか。そしてそのための手法はどんなことがあるのでしょうか。これを考えるにはやっぱり長期休みが向いてるんじゃないかなと思います。ただ、同僚となかなか話せないのは難点。こういった話を全体で集まって、それから休みとかの方が理想かな。でも中高はすぐ部活いれちゃうもんなぁ...。ぜひ皆さんも考えてみてください(エラそうやな)。

 

 書き終えて思うんですけど、いやはや、現場を離れて3ヶ月ほど経ってだからだと思うんですけど、好き勝手書いたなーと思います。きっと数か月後の自分がそんな簡単じゃねぇよ!!!って思いながらこのブログを読みそうな気がします(笑)。7月17日。