I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

教員が誰を気にして仕事をするのか

 教員は大人なので、教育観の違い・価値観の違いで色々と軋轢を残す。うちの学校は組織として成熟していない、というかまだまだヒヨコ状態なので陰でこそこそと悪口を言っている人だっている。気持ち良くはない。今は高校入試の期間中なので生徒がいないこともあり、職場でやりとりするのも教員だけだ。

 

 さて、これは教員と教員の間のことだから別にそれでもいい、生徒の前ではしっかりしていればそれでいいという問題なのだろうか。あまりそうは思っていない。例えば自分の話だが、高校の時の野球部の監督と部長(責任教諭)は仲が良かった。しかし、2年になったときに別の高校から異動してきた人がいて、監督が教務部長で忙しかったこともあり新しくきた人が監督になった。そこでどういったやりとりが為されたはしらないが、新しい監督と部長は本当に仲が悪かった。部長は監督がいないところであいつはこれだから駄目だ、~~~という部分で前の人の方がよかった、そう思わんか?と生徒に言うのである。今思うとなかなか強烈である。50歳くらいのおじさんがよくそんなこと生徒の前でペラペラと言えるなと思えるほど。いやはや、教員となってこれを考えるとなかなかきついな...(笑)。そういう自分も1年目に60くらいの顧問のやり方に合わずあーだこーだ生徒に言ってましたけどね。反省です。

 教育っていうのは自分の経験がかなり強く影響されるので、自分の価値観がかなり強く出る。最近うちの学校で話になるのは教育観というより仕事観だけど、それも自分の価値観の色が当然強い。もちろん仕事は丁寧に、緻密にできるのがよい。よく練られた仕事は効率的かつ効果もあるだろう。けれど自分の考える、学校で最も教育効果のでる条件の一つに「教員同士の目指すもの(目的)が統一されている」ことである。指導の仕方はその人にあった方法でいいし、手法はいろいろある。だけど、その手法で目指す目的が統一されていないとばらばらで、生徒が混乱する。一人一人がこれが教育効果のでる手法だ!と気張ってもそれが正反対のベクトルだと打ち消し合う。そうなると自分一人でいろいろやっても大して機能しないので成果が感じれず疲労感が伴うだけである。この仕事に多忙感がある一つの原因のような気がする。

 

 手法の話だけでなく仕事の話で揉めるのであっても、そのときの話に生徒の顔は出ていない。自分の意見を主張することは組織として成熟する過程で必要不可欠なので、大切なんだけど、例えば担任団の中で~~という方針にしよう、いやそれより~~の方が合う等、生産的な議論のうえでのぶつかり合いじゃないと厳しい気がする。これは良くしたいというプラスに考えた中での意見の対立。そうじゃない土壌で相手のミスや稚拙さを指摘するのは...成熟したチームならいいかもしれないけれど、何せヒヨコ状態なので細かい指摘が良い方にいくイメージを持てない。

 

 どうすればいいのか。まずはコミュニケーション量を増やすに尽きると自分は考えている。まず仲間がどんな考えを持っているか、どんな長所短所があるか。それも知らないとちょっとしたことでいがみ合うのが人のような気もする。人づたいで聞いた情報は不正確なのにそれを信じて嫌悪したり、さらにその信ぴょう性が下がった情報をさらに流してしまったり。それが続くならヒヨコ状態から成長することは無さそう。みんなヒヨコ状態から進化したくない?

 

 なかなか簡単なことじゃないですが、少しでも関係性を良い方向に強くできることをしたいと思っています。ちょっとした関係づくり。分掌長にもなるので。仕事を分担するにしても全体像をわかったうえで誰に何をお願いするか、とかも含めてね。1年目なので上手くいくわけはないんですが、目指そうと思います。3月14日。