I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

相手の立場になって準備することの難しさ

 今年度は総務部長をやっているわけですが...いつの間にかこっち側、要項を作ったり全体像を作る側の利ばっかり考えてしまうんだなと感じた1日。 

 人の立場に立って考えると言うのはとても難しい。これは分掌長になる前からかなり入念な準備をして、想定していたとしても、どこかでその想定も準備も終わってしまって、いつの間にか部長の立場でしかものを考えられなくなるのかな、と感じた。今思えばある場所での合同の説明会で具体的な動きの資料をなかなか作らず、結局前日くらいになってできあがったり(他に担当もいたけど夏休み中に体調不良が多くなかなか仕事を一緒に進められなかった)、一部の人にしかレイアウトがないから多くの人がどうすんの?ってなってたり、まぁまぁひどい。でも、なかなか準備段階ではそう思えない。なぜなら必死になって仕上げようとしか思っていないから。完成度50%でも一度共有してこうした方がよくない?をもらって一緒に練り上げた方がいいよね、と終わった今なら思えるんだけどな。された側だとなかなか苦しいんじゃないかな、やっぱあの連絡では。

 他にも例えば土曜日に出勤したら、普通は8時半から12時半の勤務で半日分の振替休日が取れるけど、やろうと思えば8時から12時の勤務でも取れる。でも、そんな事は管理職と話せばできるんだけど、管理職と話して要望したらいいやん、とか、もう管理職とコミュニケーションを多くとっている自分だから簡単に考えられることであって、そうでない人にとっては少し手間で、今年度転任された方にとっては、実は想像がつかなかったりする。

 解決方法としては、部下(部下っていうのもなかなか違和感ある。教師ってあんまり部下って感覚ないけど適する語句もあまり思い当たらず。部員?)と多くコミニケーションを取るとか、自分が他の組織の下の立場になることかな。越境というのが大事だとは常々思っているけれど、なかなかそういう環境に身を置けてないんだなぁと思った1日であった。はじめからすべて上手くいくわけないので、アドバイス貰えることに感謝しつつ次できたらいいかな。

 

 おまけで、このブログの大半をスマホの音声入力で入れたんですが、これがなかなか楽で、ブログの記事増えそうと感じた。これはなかなか楽。8月25日。

ビジョンに求められる最も重要なポイント「共感できる」ということ

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ビジョンに求められる最も重要なポイント――それは「共感できる」ということです。

 

 今日は休みだけどずっとPTAのことを考えていたような気がする。それを担当する分掌ですが正直今まであまり興味がなかったし、分掌長といえどあまり関わらない感じがするな...と思っていましたがそうでもなく。というのは、ぶっちゃけ管理職や首席もこの仕事に触りたがらないのです。面倒なので。そして関われば関わるほど、本当に学校のことを思ってくれる保護者もいるんだなということと同時に無理矢理委員を抽選で決め、やりたくないのにやらされる人もいて、なんというかスジの悪い仕事になってんなという印象でした。

 

 自分が担当するわけなので、スジの良い仕事にしたいのです。現状維持を続けて、教員があまり関わりたがらない、保護者も嫌々ながらやる、というか大した仕事もないしむしろ何をやってもらおうかと悩むくらいなのに人だけ無理矢理あてはめているこの現状をみれば誰だってこんなのおかしいじゃんと思うでしょう。ただまぁ、昨日の部会は失敗でして、部会で話す前にPTA会長なりPTA実行委員会なりで、さきに話だしてたんですよね(笑)。決定権は正直PTAにあるので、教員がどうのこうのいうのもおかしな話なんですけど。そもそもPTAっていうのは学校からちゃんと独立した組織じゃないといかのです。ただ、なぜPTAを変えないといけないのか、何のために変えるのかというビジョンは皆さんに今後わかるように示さないといけないと思います。昨日、「委員のアンケートに理由なしで引き受けれないの欄を作れば0人になりますよ」という意見があったんですが(笑)、正直それはそれでしゃーないかと思ってるんですけど(笑)、もはやそれは保護者にこの学校のために協力してみよう、と思ってもらえない学校の問題だと思うんですよね。学校が何をしているかわかならい、行き過ぎた指導なんじゃないか、とか、もちろん高校なのでここに入りたいと思って志願してやってくるわけですけど、だからといってこっちに全部従えっていうのもおかしな話で、学校がやっていることに納得いかなければそりゃクレームもくるわけですよ。で、人が足りないだの近頃に親はどうかしてるだのいうわけです。うちの高校は1000人近く生徒がいるわけなのでそりゃ全保護者とうまくコミュニケーションを取ることは難しいですけど、保護者に良い学校だと思ってもらうことは大切だと思うのです。だからこそ、ただ保護者の労働力の搾取になっているこの状況は変えるべきだと思っています。特別な理由がない限り委員を辞退できないっていう文書がまわってくるって腹立ちません?こんなんじゃ学校と保護者の溝は深まるばかりです。学校本位すぎるんですよ、保護者のためって目線が皆無。もっと保護者にも参加してもらいたいし、学校のことを知ってもらいたい。絶対その方がいいですよね?だったら現状のままでいいわけがないでしょう。

 

あとは9月くらいの自分が助かりそうなので、仮説を羅列しておきます。

・現状の無理矢理委員をやってもらっているやり方を変え、引き受けてもよいと考えている人で集まり、その人たちでできるPTA活動をする方がお互いの満足感が高まり、保護者との関係性もよくなるのではないか。その過程をちゃんと外部に見せることで、良い活動だと認められれば自然とこの学校のために貢献してやろう!という人が増えるのではないか。

・というか現状のやり方では保護者と溝を作っているのではないか。

・もしその「引き受けても良い」で全然人が集まらなかったとしてもそもそも全然困らないのではないか。必要な活動は何なのか。というかそもそもPTA活動は何のためのものなのか。

・人が全然集まらなかったとしても、例えば体育祭だけ手伝ってくれる方募集、で集まるのではないか。

 

 この仮説で検証できるものをやりましょう。まずはPTAに入っていない保護者に聞き取りかな。ブログ書きながら思いついた。7月15日。

分掌を運営するということ

 難しい。本当に。悩むことは無駄だと思いつつ、やはり立ち止まり、悩んでしまう。こういうときは誰かに話せば解決することが多いのだけど、何から、そして誰に話せばいいのかと立ち止まる。

 

 そもそもはじめから組織が成熟しているわけではない。成長させていくことをちゃんと考えて行動し、他の巻き込んでいいくことが大事なわけですけど口で言うのは簡単ですがそう上手くできるわけでもない。やはり忙しそうなところを見ると立ち止まってしまうときも多い。うーむ難しい。もう4ヶ月経つわけか。今学期の部会が終わって一区切りついた嬉しさと、ただこなしていることに満足してんじゃ何にもなんねーよとも同時に思う。

 

 ただ周りを少しみてみると、あまり他の分掌の部会を知らないけど、そもそも何のためにやるのかとか、もっと良い仕事をしたいけどどうしたらいいのかとかを考えているところは少なそうなのではある。例えば教務部なんかはいかに作業を捌くか、に終始しているようにしかみえない、正直。そのどさまわり、言い方が少し悪いけど作業に逃げることばっかりで過去の再生産を繰り返しているだけじゃモチベーションは下がるわ機能もしなくなってくるわでダメだと思うんだけどなぁ。もちろん、自分のところだって現状維持が多いのだけど...でも問い直そうと、なんとかやり始めています。今日は放課後にいいフィードバックをもらえたので、ちょっと堪えた部分はあったけど、でも「変えようとしていることは伝わっているはず」という言葉に少し救われた気がします。そのためには会議のやり方をもう少し変えて(具体的には報告事項はとっとと終わらせ、みんなで練りたいことに時間をかける・そして次回までにやるべきことを明確化する)、1人1人と話す機会をもう少し増やしたいと思います。ただただみんなで良い仕事がしたいのです。いやほんと、口だけじゃなくて。

7月14日。

 

 

 

 

変わったこと

 もう少しで育休あけから1年。1年で結構変わったような気がしている。4月からは立場が変わったことも大きい。それも大きいんだけど、読書量が圧倒的に増えたことが変わった要因な気がしている。堀博嗣さんを紹介しまくっている当ブログですが、堀さんがTwitterで山口周さんのツイートをリツイートされていて、それ以降なんだか気になってしまい、1冊読んだら激ハマりしてそれ以降山口さんの本、その本の中で紹介されている人が書いている本をさらに読む、などを繰り返しています。

↓読むきっかけになったツイートはこれ

山口周さんはTwitterを使っています: 「最近はやたらめったら「革新」とか「改革」とか言われてますけど、老人と同じで成熟から衰退に入りつつあるシステムで最も忌避しなければならないのは「急激で大きな変化」です。全てをゆっくり滑らかに変えていくのが大事で、ここにこそ知性と戦略が必要だと思うのですが、どうですかね。」 / Twitter

 

 

 さらに地元の友人に紹介されたのがこれ。

 

 そこから小林秀雄さんの本にも出をだしはじめる。

 

 

 この辺の本の内容を国語の年配の先生と話すのが最近の良い時間。そしてお勧めの本を紹介してもらうという。

 

 

 これなんか紹介してもらいました。自分をよく見せたいってことじゃなくて、誰かのため、何かの組織のために心の底から貢献したいと思って行動すると人はよりよく生きることができるんじゃないかな、と思えたのが終盤。最後は悲しい。

 

 いま読んでいるのはこれ。難しい。

 

 最近テレビは全くつけてないし野球も少し速報をみるだけ。ひたすら読書してる。けど、傾向が同じなので少し飽きてきたところ。おすすめあればぜひご紹介ください。多分読みます。

 

 立場が変わったから4月当初はなかなかストレスでしたがようやく慣れてきました。だいたい17時で学校でるし。ただ、まだこなしてるだけで発展させられてない。そういう組織・分掌にしていきたいんですけどね。まだまだ模索中。それなりに楽しめてます。7月12日。

 

体調が一番大事

 凄い雨でしたが、実は今日は一日休んでました。昨日40.6℃の熱が出てまして...。まだ37.7℃と続いていますが、ブログが書けるくらいではあります。昨日の15時くらいの40℃超えの時はほんっとにしんどかった。ずっと唸ってた。昨日の4限のときに体育祭受付ローテーション表を作り終えた段階で、なんかだるいな...と思いとりあえず昼ご飯を食べ、でもあんまり食欲なく、それで保健室で体温測ると38.9℃。みそ汁のんでこんなに上がるってあります?、いやないわってことで帰宅。この帰宅中もかなりしんどかった。

 

 2週間前にも体調不良で途中で帰った金曜、土日、平日2日と休んだときがあって、今回また高熱。子どもの保育園の影響もあるんだろうけど、ちょっと体が弱ってしまっている。それとも何か大病患ってんのか...。

 

 ただ今すこし気分がよくなってきたので、本を読んだり考えたことをメモしたりゴロゴロしているんですけど、この時間がやっぱ結構いいんですよね。体調不良の影響ですけど、何だかんだ4月から平日1回は年休を取っていて、平日の昼に1人になって考える時間がある。こんなくらい休みを取れるのがいいのかもしれません。

 

 まぁそういいつつも、体調不良は嫌なのでやっぱり体調が何よりも大切だと痛感した次第であります。昨日の夕方は本当にしんどかった。もう死ぬと思った(笑)。もっと健康に関することにお金を払ってもいいかもしれない。

 

 というわけで急に休んでしまったのでした。突然休むので同僚にはかなり迷惑かけてるんですけど...周りの方に本当に助けられてます。6月2日。

 

君がいなくても学校は回るよ

 タイトルの言葉、いい言葉かけをしてもらったなーと思っています。普通字面だけではいらつく言葉だと思うんですが。

 

 分掌長になり、必死こいて要項作ったり、役割分担を考えたり、他の人と調整してまた修正したりとやっていて、昨日なんかは久しぶりに20:30まで残っていたわけですが、今日の17時ごろに言っていただきました。いやはや、やっぱ肩に力入ってるんだなと。別に質の高いもんを作り上げよう!とか思わなくても、とにかく拙速で仕上げればなんとかなるわけで、考え過ぎてもよくないですね。そうそう、変にプライド持ったりして器の小さいおじさんとぶつかるする必要もない。のらりくらりとやっていきますよ。真面目すぎてもよくない。真摯にはやってますけど。

 

4月4日。明日はこどもの慣らし保育で昼過ぎに帰ります。

 

教員が誰を気にして仕事をするのか

 教員は大人なので、教育観の違い・価値観の違いで色々と軋轢を残す。うちの学校は組織として成熟していない、というかまだまだヒヨコ状態なので陰でこそこそと悪口を言っている人だっている。気持ち良くはない。今は高校入試の期間中なので生徒がいないこともあり、職場でやりとりするのも教員だけだ。

 

 さて、これは教員と教員の間のことだから別にそれでもいい、生徒の前ではしっかりしていればそれでいいという問題なのだろうか。あまりそうは思っていない。例えば自分の話だが、高校の時の野球部の監督と部長(責任教諭)は仲が良かった。しかし、2年になったときに別の高校から異動してきた人がいて、監督が教務部長で忙しかったこともあり新しくきた人が監督になった。そこでどういったやりとりが為されたはしらないが、新しい監督と部長は本当に仲が悪かった。部長は監督がいないところであいつはこれだから駄目だ、~~~という部分で前の人の方がよかった、そう思わんか?と生徒に言うのである。今思うとなかなか強烈である。50歳くらいのおじさんがよくそんなこと生徒の前でペラペラと言えるなと思えるほど。いやはや、教員となってこれを考えるとなかなかきついな...(笑)。そういう自分も1年目に60くらいの顧問のやり方に合わずあーだこーだ生徒に言ってましたけどね。反省です。

 教育っていうのは自分の経験がかなり強く影響されるので、自分の価値観がかなり強く出る。最近うちの学校で話になるのは教育観というより仕事観だけど、それも自分の価値観の色が当然強い。もちろん仕事は丁寧に、緻密にできるのがよい。よく練られた仕事は効率的かつ効果もあるだろう。けれど自分の考える、学校で最も教育効果のでる条件の一つに「教員同士の目指すもの(目的)が統一されている」ことである。指導の仕方はその人にあった方法でいいし、手法はいろいろある。だけど、その手法で目指す目的が統一されていないとばらばらで、生徒が混乱する。一人一人がこれが教育効果のでる手法だ!と気張ってもそれが正反対のベクトルだと打ち消し合う。そうなると自分一人でいろいろやっても大して機能しないので成果が感じれず疲労感が伴うだけである。この仕事に多忙感がある一つの原因のような気がする。

 

 手法の話だけでなく仕事の話で揉めるのであっても、そのときの話に生徒の顔は出ていない。自分の意見を主張することは組織として成熟する過程で必要不可欠なので、大切なんだけど、例えば担任団の中で~~という方針にしよう、いやそれより~~の方が合う等、生産的な議論のうえでのぶつかり合いじゃないと厳しい気がする。これは良くしたいというプラスに考えた中での意見の対立。そうじゃない土壌で相手のミスや稚拙さを指摘するのは...成熟したチームならいいかもしれないけれど、何せヒヨコ状態なので細かい指摘が良い方にいくイメージを持てない。

 

 どうすればいいのか。まずはコミュニケーション量を増やすに尽きると自分は考えている。まず仲間がどんな考えを持っているか、どんな長所短所があるか。それも知らないとちょっとしたことでいがみ合うのが人のような気もする。人づたいで聞いた情報は不正確なのにそれを信じて嫌悪したり、さらにその信ぴょう性が下がった情報をさらに流してしまったり。それが続くならヒヨコ状態から成長することは無さそう。みんなヒヨコ状態から進化したくない?

 

 なかなか簡単なことじゃないですが、少しでも関係性を良い方向に強くできることをしたいと思っています。ちょっとした関係づくり。分掌長にもなるので。仕事を分担するにしても全体像をわかったうえで誰に何をお願いするか、とかも含めてね。1年目なので上手くいくわけはないんですが、目指そうと思います。3月14日。