I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

良い考査(テスト)とは

 多くの教員の方が今週もしくは先週で成績処理をされたかと思います。僕も今日で一区切りつきました。これが終わるとホッとしますね。

 

 成績をつける前に必ず行われるのが考査です。高校において考査はとても重要なもので、現状は考査が学校の中心となっております。年間行事も考査日程が決まってから他の行事の日程が決まっていきます。こう書くと高校では点数を取ることが何よりも大事なのかよ、とか言われちゃいますけど、現状では考査が中心だということは変わりません。

 

 そこで今日、成績をつけながら良い考査・良い成績評価ってなんなんだろうと少し思ったわけです。みなさん良いテスト作れてますか?生徒にとって意味のある成績評価できてますか?

 

 良い考査を考えたときにまずこの単元や扱ってきた内容の理解度を測れるか、ということがあがると思います。簡単に言えば内容の理解度で、その中には物理でいうと簡単な計算、今までの既習事項と絡めて考えることができるか、複雑と思われる事柄から本質的な部分を抜き出して考えられるか、など階層があると思います。どんな質のアウトプットができるかを見れるわけですね。さらに良くなるには、考査時間が終わった後でも考えたくなる問題かなと思っています。授業では扱えなかった事柄や初見だけど考えられないことはなく、さらに理解が深まる内容といった感じです。こう言っているだけで全然できなかったなぁ...。他にもこうしたら良くなるのでは?というのがあればぜひ教えてください。物理という科目の視点でしか書いていません。

 

 さて、今回の考査は正直、良い考査ではなく、自分にとって都合の良い考査を作ってしまいました。どんな考査かというと、誰一人落とさないし、だからといって誰も90点台が取れない考査です。もちろん、ここが重要ですよと伝えていたところをやって来なかった子ができないので落ちますが、はじめに本当に簡単な問題を並べたのでそのような子はいませんでした。何というか、ただ言ったことを勉強したかどうかを確認する考査です。なぜそうしたかというと、落とす(1にするということ)に全く意味が無いと思っていますし、ただ無駄な時間が発生するだけということ、その後の得点調整・成績処理が楽だということです。僕自身、その科目のことがわかっていないなら落ちるべきだと思っています。1年目なんかはそう考えていて、容赦なく落としていました。でも自分1人でそんなことやっていても生徒には特に何も伝わらないし、落としたその生徒と補習をやってもただ無駄な仕事が増えるだけ、という感じで良い意味で捉えられないようになってしまっています。で、結構多くの人どんな感じかというと、この子はよくわかっていないけど頑張ったから通す、こいつは授業中内職するし指導しても態度が気に食わないから落とす、などをするわけですね。情とか個人的な生徒の目などが入るわけです。で、さらにこの情とかが入った成績の点数は絶対評価であるはずなのに指定校推薦など入試に使われることなどから校内の規則で成績はこの点数に納めないといけないというルールがあり、得点調整をして、決まります。最後の方は考査の話というか、成績の話になってしまいましたが書きながら何やってるんだこれ感がすごいです。成績という名の暴力を使って生徒を自分の思い通りに従わせることもできるんですから、現状のシステムは酷いもんです。これはうちだけですか?それとも穿った見方をしているだけなのでしょうか。今はなんというか、学問を身に付けなくても頑張ったら(ちゃんと従えば)認めてくれるということを教えているだけなような気がして仕方ないのです。「ちゃんと頑張らせて」凄いさぼったやつが通るようにはならないようにだけして、全員通すのが良い成績処理みたいな感じがあるのです。無駄な能力を身に付けたなぁと思っています。なんだよ、「ちゃんと頑張らせる」って。

 

 最後に、考査期間というものについて。これが一体生徒たちに何を教えてるんだろうなぁとも思います。ヒドゥンカリキュラム(隠れたカリキュラム)というものですね。この教科にどれだけ時間をかけて、何を取り組まないなどの計画性?効率性?教員たちに助けを求めること(助けを求める力てきなもの)?ある一定期間にだけガーッと詰め込めばいいって思って欲しくないですけど、当事者はそう思えちゃいますよね。アクティブラーニングとか入試がーとか、教育改革は色々と言われますけど、もっと大きな構造から変わらないといけないいよなぁ、そんな日が来るのかなぁと...ネガティブですがここで終わります。12月19日。