I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

大阪市長と小学校長

 タイトル的に学校のICT環境があまいのに委員会がオンライン授業をやれと言ったことに対する意見っぽいですけど、とりあえず思うことを書いてみた結果それには触れなかったのであしからず。 

 

 ここ数日話題になっていた大阪市長大阪市立の学校長のモメゴトで、自分の考えを少し。一応、市長の囲み取材の書き起こし全部と、校長の文書はすべてTwitterであがっているものを読みました。ニュースの記事だけでなく、一応全文読んだ方がいいと思います。

 

 

 まず思ったのは、それぞれの立場でそれぞれの論理があるよなぁってこと。市長の論理、教育委員会の論理、校長の論理、現場の論理。それぞれやるべきことがあり、それぞれ外からの目、評価を気にして動く。学校は学力が上がらなければ、学校で重大事件が起きれば委員会からの指導が入る。誰が責任を取るのか、という話になる。メディアも責任責任って、その話大好きですよね。大阪市というか、大阪府全国学力調査で最下位になり続けてて、そこから脱出しようとしている。現状抜け出せていけないわけです。目標達成できてないんですけど、今後どうするんですか?ちゃんとやってないですよね。できてないから、誰か責任取るんですか?ってなるわけですよね。目標達成のために現場を動かさないといけない。委員会側はそう思うんだと思います。

 

 で、じゃあその点数とやらは大事なのか、ということになるわけですよね。そこまで追い求める「点数」とやらは。もちろん、点数取れることは「大事」に決まってますよね。良いか悪いかはともかく、現状は学歴社会でまだまだ良い大学に入れていたらいい会社で働ける、キャリアアップできるというのは変わっていないと思っています。もちろん学歴だけがすべてじゃなくて、その人の能力を多様な面から評価できたらいいように変わればいいと思ってますけど、現状まだまだだと思ってます。現状は。もちろん、レベルが高い大学に行く方が良い研究ができたり良い先輩、良い仲間に巡り合えるとも思えます。ということは、勉強がわからない、点を取れない、入試を突破できないということはその子を不幸にするということになります。端的に言うとそういうことです。大阪でも北野や天王寺のような進学校のエリートもいるけど、大半が就職する学校もある。もちろん小・中学校の時点での点数なので、その後巻き返していい大学へ、という可能性もありますが、実際は苦しいと思います。

 

 とにかく点数を取ることは大事で、教育委員会など上の立場の人はそこを追うのは当然だと思いますし、それは結果的に子どもの幸せにもつながると思っています。じゃあどうやって取らせるのか、というのがポイントですよね。問題演習ばっかりやらせれば取れるようになるかなぁ、とも思います(が大半の小学校の先生はそんな授業はしないと思います。すごく準備して上手に関心を引いて授業展開されている)。でも演習では達成感はあってもおもしろさの質は弱いというか、結構なストレスを子どもに与えます。勉強おもんないって思えばさらに勉強しなくなり、成長しなくなる。で、じゃあキーになるのは何かなと思ったんですが、「探究」かなと思ってます。あんまり詳しく書かないですけど、やらされるだけじゃなくて自分が興味を持てることを考えるのはおもしろいですし、何より勉強したことを使えたり、実感が湧くと意欲につながるというのはなんとなくイメージがつくのではないでしょうか。要は勉強するのっておもしろいなーって思って自らやりだすのが一番いいし、それに探究がつながると思っています。

 

 話があっちいったりこっちいったりしてますが、もっと根本的なところで、結局何が一番子どもに教育に重要なのかというと、「親」だと思ってます。親です。極論ですが。正直、職員室でもあの家は親が苦しいから...とかはよくいっちゃう話です。でも、そうだと思います。家庭環境がその子の様子というか、姿勢を決めます。ちゃんと子どもの面倒を見ることができて、習い事をさせられたり、子どもの話をよく親がきいてあげられるような家庭は一般的に子どもも落ち着いていると思われます。一方生活が苦しくて夜遅くまで親が帰ってこずに、弟や妹の世話も子どもがしていて、疲れ切った親に怒られるような家庭はしんどい。経済的な苦しさから結局大学には行けずにまたその子どもも、、、となると学歴社会では勝てずに負のスパイラルってやつに陥るわけですね。つまり経済的な要因がかなり大きいんですけど、だとしても、親が生活的に苦しくても勉強することは大切で、おもしろいもので、どんどん成長して経済的にも豊になれるしこの子にはそうなって貰いたい、しっかり学校にいってもらいたいと思っていれば、もしかしたらその子どもから変わるかもしれない。いま探究が大事ですって打ち出されているわけですけど、勉強するのっておもしろいなって思った子が親になったとき、良い教育を与えられるかもしれない。ここまでできたら瞬間最大風速的に最下位から抜け出せるのでもなく、ずっと高い水準になれるのではないでしょうか。今の子どもが親になるとき、と考えたら普通に20年・30年以上かかる話で。でも正直それくらい年数がかかるもんじゃないかなと思います。で、ですね、そこまで長いスパンで我々も政治家・教育委員会を評価しないですよね。任期の、さっきの話からしたら短い期間で府民も評価する。短い期間で結果を出さないと票も取れずクビになる。じゃあ短い期間で結果出せるように、その方法がとられるわけで。そういった評価とか、システムの問題かなぁと思います。教育委員会とか、行政側の現場への無茶ぶりって。本質的な学力向上の問題はかなーり時間がかかるものだと思っているので、教育委員会教育委員会で焦らず管理ばかりではなく支援の目で、現場を信頼していくしかないと思うんですけどね。で、僕ら一般市民も長い目で行政を見る。

 まぁ、もうちょっと長いスパンで見ようって感じのことを言いながら、本当にいい方法は短期的にも良い成果があがるとも思ってるんですけどね...(笑)。

 

 最後の話。今回の内容は市長や教育委員会の行政側にもその論理があること、親が勉強おもしろいって思うことが大切ってことを言ってるわけで、どっちかというと行政を擁護してます。今回の校長がダメなぁって思うのは、結局あの批判は行政と現場の分断をさらに深めるだけだということ。お前らは現場をわかってないって意見、でも行政側からしたら大枠決め手てそれをやっていこうって言ってるのになんなん?って立場と。そこは現場として行政にキレたとしても、したたかに、上手に上と交渉すべきなんじゃないかなーと思ってます。その方が実際良い変化を生み出せるんじゃないでしょうか。

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

  最近読みました。いい本だと思います。

 

 以上、久しぶりに長々と書きました。予想以上に時間がかかってしまった。明日から月曜日。がんばりましょう。5月23日。