I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

ピアノと文化

 ピアノコンサートなるものに行ってきました。初めての経験です。曲をあまり知らないので(笑)、聴きながら入り込むんじゃなくていろいろ考えてしまうんですけど、そのことをまとめます。

 

 ベートーヴェンの曲を演奏されましたが、これが作られたのは200年前ということになります。200年って...。つまりこれまでに何人もの人がそれを聴き、演奏し、先生が教え、そしてまた新しい人が聴き、感動し、また演奏する人がいて...を繰り返してるわけです。そこには人の思い、歴史があって、多くの人を巻き込んできて文化になってきたわけで。自分は山登りが好きなので、例えば松本城にいったときなんかは後ろに美しい常念岳があるんですけど、この松本城常念岳の美しい風景はこの城ができたときからあるんだなと、昔の人もきっと美しいと感じただろうなんて思ったわけです。ベートーヴェンや、ショパンモーツァルトを聴いて、昔の人も美しいと思ったり感動したりして、弾けるようになりたいと思う人、またこの人の演奏を聴きたいと思った人など、きっといろいろな影響を与えたのだなぁと感じた次第です。文化っていうのは人に何某かの影響を与えて、触媒となって作用するものなのかなと考えました。

 

 さらにもう一つ。作曲という業について。作曲って完全に自由なわけですよね。確かに響きの良いメロディってあるのかもしれないけど、でも言ってしまえばこのメロディの後にどの音を入れるかなんてのは自由なわけです。でもそこにはきっと作曲者の考え、思いがあるはず。まぁいいか、というノリでそのメロディや音を置いているわけではないでしょう。少なくとも、そこに深い検討があったからこそ良い曲になり、人に認められて何百年も残る作品になっているはず。

 

 この本の章に教材研究を楽しむ-国語編-があり、詩について書かれた部分があるのですが、助詞の検討をしている部分がありました。「コーヒーがいいわ」というか「コーヒーでいいわ」と言うか、これで全然意味が変わってくるわけで。その詩だって助詞一つで背景だって変わってくる。そこが読めるか、そこがこだわれるか。曲についてもそうですし、授業についてもそうですし、学校ではない会社の事業だってそうなのかと思いました。そしてその過程を楽しめるか。楽しめるなら、手抜きすることもないでしょう。この音の配置もまぁ、悪くないしこれでいいかと思うのか、いやまだ可能性があるはずと思うか。こういった工程がアートなのかなぁ。違いますかね?うまくいっている企業の戦略はアートであるとこの本でもありました。

 

 

 いずれはもっと今後考えていることも書こうかと思ってますけど、こういったアートな工程では自分は日本で昔からあった伝統や文化を入れたいなぁなんて思ってます。日本にいるなら、日本の良さを生かせる人でありたい。

 

 エヴァンゲリオンでカヲル君が「歌はいいね。歌は心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。」と言ってましたけど、歌のみならず音楽はそうですね。2月26日。あ、二二六事件の日ですね。高橋是清元総理が殺害された日。最近これも読んでいて、かなり面白い。

 

 あかん、堀先生の本あと1冊読み切ってないので読まないと...。