I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

内職のことから今後の教育の展望まで広がった話

 書きたいことをただ書いただけでまとまりはいつものように皆無です。悪しからず。 

 

 この時期になると3年生のどの授業で内職をしているやつがどうとかそんな話になる。受験にいらない授業というのはそんなことになるわけですが、そもそも授業で受験のことばっかり言ってるからであって...。「ここがテストにでる。受験に出る」というワードを先生がよく使うのは、テストに出るからきいてね、この授業に参加してねとメッセージを送っているわけですよね。教材でひきつけられないので受験を動機づけにしている。そればっかり言われてきている彼らかしたら受験に使わない(orもう終わった人)はどんなモチベーションで授業を受けたらいいんだろう。
 悪いのは生徒だけじゃない。もちろん教師だけでもない。でも気にせず目の前の授業の指示に従え、というのは横暴で、むしろ自分の意志で行動できる人になって欲しいくないですか?結局思考停止して上からの指示に従う人間を育てたいのですか?ここのちぐはぐがたまらんですね。結局ふつうの先生が言う良い子とは都合の良い子ですよね。そんなんで今の生徒全然いまの子達子達は意見を言わない、とか言わないで欲しいです。


 結局は予備校のようなことばっかりしてるのです、ふつうの学校は。受検は団体戦とかいってクラスの友情みたいなんでなんとかしようとしている。システムの問題は大きいでしょう。学校の評価軸が〇〇大学に何人入学みたいなことばっかだし。でも、そもそも高校ではどのような教育活動をすべきだろうか、を考えればシステム云々は置いておいて考え方の転換できる気はします。

 

 この子達にどんな教育活動を提供すべきなのだろう。いろいろと進路先がばらばらな本校ですが、それを活かした教育活動とは?

 ともかく受験対策ばっかりしているのをやめさせたかったら大学の卒業を厳しくして、大学入学は抽選が大半、あとはペーパーテストと面接とかどうですか(人が少ないなら可能かと)。卒業が急に厳しくなったことに苦しむ学生がいるし、急にそう風土は変えられませんが、しっかり学んだ人じゃないと本来は卒業させちゃだめですよね。

 

 そして全日制であることの良さは何か、も最近考えています。部活とか修学旅行とか体育祭、文化祭など、今ふつうとされている行事をみんなでやること以外のメリットは何か。ここを考えないと通信制に淘汰されるでしょう。あそこほど様々なコンテンツを用意できません。実際これ以上なにか新しくはじめることは無理です。変える方向性のこと考え、そのための勉強会をする、そしてそれには時間的なゆとりが必要。ここを考え、行動できるかというのが生徒も教師も幸せで充実した学校生活になれるんじゃないですかね。いま指導要領が変わる学年の教育課程について考えていますが、ただコマを埋めたって大きく変わらない。どのような教育活動を与え、どう有機的に多くの教科を組み合わせるか、総合をどう活かすか(本来ならばかなり核になると思います)などなど。それぞれのコマが指導要領の内容を終わらすだけではただ消化試合をしているだけ。そのコマの中で探究的な活動ができたとしても広がりは薄い(というかそのコマ担当者のマンパワー)。他教科と組み合わせてようやくいいかんじ(なんとも説明できないけど)。さらに欲張れば地域や社会の課題、企業との連携で学校がようやく活きてくるんじゃないかな。


 学校はやっぱり閉じすぎている。もっと広がりを持たせたい。こんな感じに。

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11月25日。