I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

教職の愉しみ方 授業の愉しみ方

 

 最近は堀先生の本ばかり読んでいることもあり、主張が結構わかる。保護者のみならず教員だって消費者精神で生きている者が多いこと、力量がそもそもないのにコスパを意識してなかなか成長しない若手などなど。過去の自分に当てはまっていたこともあるし、いまの自分にだってギクリとすることもあるし、あぁ、あの人は全然教職を楽しんでいないなと手に取るようにわかる人もいる(先輩でも)。でもどうせやるなら、65くらいまでの起きている時間の大半をおそらく仕事で過ごすのならば、その時間は充実させたいもんじゃないですか。労働というのは確かに苦労して時間を売ることで対価を得ている側面がある。しかし、それだけではない。特に教師なんかはそりゃ苦労したりいらいらすることも心配になることもしょっちゅうで、ブラックな職場と言われるわけだけど、生徒と馬鹿話して笑ったり、嬉しいことだってある。チームで一丸となって危機を乗り越え、成果をあげて、解散しても事あるごとに理由をつけて集まって飲んで楽しい時間を過ごせる仲間もできた。本当に良い仕事だと思う。そんな風に思っていても、さらにこんなことで愉しめるよという提案がこの本である。一部紹介しようと思う。

 

 第1章 子どもとのかかわりを楽しむ 15ページ

 『「もっと厳しくしなきゃあ」を手放すのは不安です。手放した後、どうやって学級を束ねるべきかと思うからです。しかし、「束ねる」というのも「言うことを聞かせよう」とするのも、教師の身勝手な思惑です。自分の仕事を自分に都合よく回そうとする発想で教師が自分の側にしか立っていない見方です。』

 

 宇野さんの本はこれも読んだ。

 

 

 ピシっと、なんというか話す人の前で黙ることが正解みたいな感じはあるんですけど、それだけじゃないよねと宇野さんの本を読むと思えます。もちろん、何でもいいってことではないんですけど。教師のキャラクターもあるわけで。荒れているクラスと思われたくないっていう考えは特に小学校には多いのではないでしょうか。

 

 30ページ

『堀 「肩の力を抜く」ってのは僕も大切なことだと思うんだけど、新卒から肩の力が抜けていたわけじゃないですよね。

中略

宇野 私の場合は、二人目の育休明けじゃないかなあと思います。元来完璧主義なところがあって、きちんとさせなきゃと思いがちなところがあるんですよ。でも小さい子二人育てながら学級担任をしていると、何もかも完璧になんかできないんですね。今日は手抜きご飯とか、お部屋が散らかっているとか。急に子どもが熱を出して予定通りに仕事が進まないとか。それでいて予定通りにならなくても、別にたいしたことないんです。ちゃんと毎日はつながっていく。そういう毎日を過ごしているうちに、私一人の力なんて知れてるなあと悟り始めて、少しずつ肩の力が抜けてきたと思います。』

 

 宇野先生の根底にある考えなのだと思う。それこそ全部完璧にしようと思っていたら確かにはじめはできるかもしれないけど、すぐに息切れしちゃって続かない。割り切りだって大切。子育てをしていると普段の生活でも本当にいろいろな制限が発生するわけですけど、だからこそ時間を大切にしようとも思うし、うまくいかなくて当然、次はこれを試すとか思える。その制限は悪なだけではないのですよ。制限があるからこそどうするかと考えることもできる。

 

 さて、明日はAL授業10の原理・100の原則のブログを書かないといけないので、もう切り上げちゃうんですけど(笑)、堀先生の部分を一つ引用したいと思います。教職経験が浅い人はみんなこの本を読んだらいいと思う。本当に。

159, 160ページ

『人は見たいものしか見ないものです。見たくないものは見えないようにできています。他人の意見を聞くということは、自分が見たいものしか見ていないということに気づかせてくれます。言わば「議論」というものは、互いの「死角」を指摘し合い、その「死角」に目を向ける今後の自分をつくっていく営みです。従って自分に「死角」があることを認めない者、自分に「死角」があることに気づいていない者は批判されると落ち込みます。私が冒頭の初任の先生を「自分は完成された一個の個人であり、全人的に尊重される権利がある」と揶揄するのもこの一点に尽きます。私が「完成された自分」と呼ぶのは、自らに「死角」があることが意識されていない人間、という意味なのです。残念ながら、「死角」だらけなのにそれを認めない人間を存在として尊重することはできても、その認識を尊重はできません。あなたは自分の「死角」に気づく必要がある。そう指摘される場が研究授業の研究協議なのです。』

 

 Twitterでは批判の対象になる研究授業。でも、若い人なんかは研究授業をするといろいろダメ出しを食らうのは当たり前なんですよ。だって見えていないのだから。見えていると勘違いしているのだから。昔の人は働き方改革なんてもんもないわけで、時間をかけまくって研究授業して、指摘され、そして成長してきた。今の若い人は自分も含め働き方改革の流れもあり、こういった機会は減っている。へたしたらパワハラだって言われる。研究授業なんてもういらないでしょって言う人だっている。現状3年目以降、指導案だって書いていない。さて、これでいいのか。よくないですよね。だって見えていないんだから。堀先生の言うように、見えていないことに気づいていない人も多い(先輩でも正直、いる)。自分は、見えていない世界が見れるようになりたい。そんな風に思う周りの人や若手が増えるように頑張りたいと思う。多分、教職はその方が愉しいはず。2月27日。