I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

教師の先輩力

 読みました。2月中に3冊とも全部、と言いながらまだこれしか読めてません笑。

 

 

 

 基本的に学年主任を務めるような人向けに書かれていますが、若い人、育ててもらう側の人だって読めばいいと思います。一体自分の上司は何に悩んでいるのかがわかるので。例えば、昔だったら言わなくても理解しなさい、技は見て盗みなさいといった考えがあったわけです。しかし、若い人にはそのような考えを理解する人は少ない。「そんなん効率悪い」とか「ただのそっちの都合じゃん」ってなるわけです。でも、確かに昔にはそのような雰囲気があって、そうやって成長してきた人もいるわけです。そう考えている学年主任と新任とでは、そりゃ上手くいかないし、保護者からきつくクレームを言われるような事案であったり、新任が成長しないということだったり...はい、若い人も読めばいいと思います。

 さらに言えばまず一番はじめの原理は「プライオリティの原理」です。どんな内容かというと、例えば学年主任になったからといって最も優先すべき仕事は若手を育てることではなく、子どもたちを成長させるということである、です。新任で力量が無い。だから失敗は仕方がない、ではない。確かに結果的にそういうことはあるかもしれないけれど、子どもたちに損をさせたり、危険な目に遭うことがわかっているのにも関わらず、若手の成長を優先したり、若手に切ない思いをさせてしまうことに戸惑ったりしてそれを許してしまってはいけないのです。この内容を読んで自分が経験したある場面を思い出しました。あの時の自分は、先輩教員にあの場のすべてを持っていかれたことに納得がいかなかった。今でも何だか嫌な気持ちが残っている。しかし、確かにあの場は危険だった。それは自分でもとても納得がいっていて、自分で収拾させられなかったのも事実で。自分ならその後のフォローのやり方を変えけれど、あの現場の先輩の判断は間違ってなかったのだと思う。いやはや、あの場面は一生忘れないと思う...。

 

 この本を読んでいて感じたのは、堀先生なら瞬時に自分がどのタイプの若手かを見極め、適切に対処されたであろうということです...笑。例えばここ。以下45ページから引用。

『しかし、教師としての成長には先にも述べたように、「OS」の成長が何より必要です。それなのに、彼らの多くは「仕事ができるようになる」ということを「仕事をうまくまわせるようになること」「仕事を効率的にできるようになること」、要するに「仕事をうまくこなせるようになること」と捉えています。成長願望はあるのですが、それが「現象的な成長願望」となっている場合が多いのです。「コスパ世代」とでも言うのでしょうか。或いは「消費者感覚世代」とでも言うのでしょうか。それが教師としての成長を阻害している側面があります。』以上引用終わり。

 ここを読んで皆さんはどう思われるのでしょうか。僕は、ああ3年目くらいの俺...と思いました笑。本にも書き込みましたし。正直自分のあとに入ってきた新任の人にも結構この感じをあるなぁ、と思ってます。さらに106ページ。若手には「依存型」「軽薄型」「実務型」「創造型」と分類されており、その中の「軽薄型」について。以下引用。

『要するに、力もないくせに他人の意見を聞かない、自分はできているつもりでいる、そんな教師と言えばわかりやすいでしょう。今後も、「依存型」ほどでないにしても、一定の割合で現れます。』以上引用終わり。

 はい、自分は軽薄型です、すみません、と思いながら読んでました。なんか怒られているみたいでした笑。軽薄型にはできなさを自覚させ、ちゃんとできないいけない原理を習得させることが大切と書かれています。法則化運動で有名な向山さんの本とも関連してます。僕はTOSS自体は好きではないですが、この本は教師にとってとても重要な本だと捉えています。

 

 ちゃんと力を身につけないといけないと思わせ、一度どんな原理が必要かを説明し、実践させ、かつリフレクションを手伝ってこれはこうだったよね、この原理がまさに活きたところだよね、できるようになってきたじゃないか、などなど帰納的にも指導すると成長していくことが想像に難くない。堀先生は、子ども・保護者に迷惑がかからないように、って感じでしたが自分はさっきのミスもそうですが、生徒を危険な目にあわせ保護者からクレーム&校長にガチで怒られる、自分の不手際により生徒が停学&教頭にガチで怒られる、など多分大学院の同期の中で最もやらかしているんじゃないですかね...そう思うとうちの学校は若手をちゃんと育てることができないのでしょう笑。人のせいにするわけではないです。あれらは全部自分が悪い。というわけでこんな若者、堀先生からしたらすべてお見通しなのです...。

 この本と、前回読んだ堀先生の本で共通点として、リフレクション・メタ認知があげられます。

<なぜ>その指導をしたのか。これをとにかく考える。

 

 

127ページより引用『指導言というものは、<なぜ><何を><どのように>言うかという三段構えなのです。』

 

 堀先生の本ばかり読んでいるからでしょうか。このなぜ、が日常でもかなり考えられるようになってきました。自分の指導したことへのなぜ、なぜこの人はこのように発言したのか、なぜこの生徒はこういう振る舞いをするのか、等。これが自分を成長させているような気がしています。

 

 最後はあとがきより。以下205, 206ページより引用。

『どうも日本語というものが、日本人というものが歴史的大転換を迎えているように思います。それも決して良い方向ではない方へ。良くない方向というのに語弊があるなら、決して豊かではない方向へと言い換えても構いません。言葉が情報をやりとりするためだけに用いられ、情を交わす言葉や、相手を待つ言葉や、相手と戯れる言葉が世の中から急速に失われつつあるように感じられるのです。それはこの国の人々が、日本人の文化を失いつつあることと同義であるように思えます。』以上引用終わり。

 変わる日本人。それは当然、まずは若い人から現れるわけで。昔だったら言わなくてもわかるようなことだって伝わらない。強い消費者意識を持つ若手。保護者が変わったとか言うくせに、自分らだって消費者意識で生きている部分が必ずあるわけですね。

206ページより引用。

『かつての日本人の文化の根幹は、「与えること」にありました。』

 与えられることばかりを求めている人には与えられない、この国は与える者にしか与えられないと堀先生はおっしゃっています。はてさて、自分は与える人にちゃんとなれるだろうか。2月22日。