I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

思っていることを言えない関係

 現在絶賛テスト期間中。一人で持っている科目は自由でいいけど、複数人で持っているものは内容についてよく揉めます。採点基準とか、テスト実施後にこの出題のやり方のまずさとか。もっと早く渡すべきだったなとも思いましたが、出題後にあーだこーだ言わないでよ。というかテストやる前に解いてよ。

 

 というわけでなんだかんだ文句をつけられるわけです。基本的には今言う?みたいな内容なのでいらいらする内容ですが、的を射ているものもあり。そりゃ60歳の人は色々と経験を積んでいるもんですから。

 

 ただ、3年目のお前が言うな感を多くの人は感じるかと思いますが、とてもやりづらい。物理のテストで立式を見るのも大切なんですが、凝りすぎても時間がかかりすぎる。すぐ採点できる部分、よく見てやる部分でわけてやればいいと思っているし、記述が多いと自分の基準が甘いのだけど、ブレる。公平性を保つために答えだけ出させる問題のほうが多いです。曖昧さが消えるのでとても公平。仕事が多い多いと嘆くならできることから楽にすりゃーいいじゃんという考えを持っているのですが、ここに書いているような意図をその60歳教員には言いません。どうせ言っても完全否定されるのがオチだと思うから。その人は時々ビビらせて自分のやりたいように持っていくためにでかい声で威圧します。そしてこれが絶対的な解だ、ということを伝えてくる。30年間くらいそうやって来られたのでしょう。そういう術も必要かもしれませんが、好かないのは好かないですね。

 

 なんだかただの文句の垂れ流しになってきましたが、言いたいことは2つ。

 1つは威圧的な感じで物を言ってるとこの人には本当に思っていることを話すのはやめようと思うようになる、自分と生徒との間ではそうなりたくないということ。自分は部活でもクラスでも基本ゆるいです。というのは本当に思っていることを話したくない教員にはなりたくないと思っているからです。部活はほぼ1人で見ているのでやりたいようにやっていますが、あの時間・空間は生徒たちのものなので、生徒たちで自分たちの部を良くするため考え、動いてほしい。答えのないことを考えるので思っていることを言い合えないと全く意味がないのです。思ったことを言えてはじめてじゃあそのためにどうするか、と考えられる。言えてないなら結局不満がたまる。それができる場になるためにまず顧問には相談しやすい、意見がいいやすいと思ってもらえることがいい、と考えています。ほかの部でザ・体育会な部は本当に言いたいことが言えているのか、な、と見ていて思います。いろんな運営方針があっていいと思っていますが部が生徒らの物である、というのは変わらないと思いますよ。

 

 もう1つは業務改善、とは言うものの無駄だけでなく手間も省いてしまっているのかなぁ、というところです。この2つの境界線は明確ではないのですが、手間を省けば人は育たない、という京都大学の石井先生の言葉がありました。

 

 それを肝に銘じているのですが、どうしても楽な方に流れてしまう。楽な方に流れないように気を付けないと、とは思いました。といいつつ業務改善...。今の立場では自分のやれることしかやれないけどもっと大きなくくりで改善するなら教員同士フラットな関係を作れないと無理ですね。

 

 最後はテストの話。テストにはメッセージが含まれる、なぜならそれで大半の成績がつき、生徒たちもかなりシビアに捉えているから、だからこそもっと意図をもって出題しないといけない、というのは今回の件でとても反省。じっくり考えられない時間のなさもあるが、そればっかり言っててもダメ(といいつつ、プライベートな時間をかなり割いてまでやろうと思えないのは正直なところで、自分の勤労観かな)。楽ならそれでいいや、には陥ってはいけないけど、業務量が多いいまは楽さを求めて、というかもっと気楽に働けるようになって、一つ一つの業務の質の向上を図る、でいいのではないでしょうか。テストだってぱっと点をつけられる部分とよく考える部分があっていいんじゃないですかね。

 

 なんかまとまりがない文でしたが、書く時間を決めていたのでここで終わりとします。やっぱりアウトプットは大事。10月15日。