I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

子ども扱い

久しぶりにコロナ関連とは別のこと。

 

askoma.info

 

 軽井沢風越学園のはじまりを書かれているんですが、そのことよりも子どもを子ども扱いしないことについて書かれていて、自分もそうだなぁ、と共感した次第です。

 

 自分のいる担任団では一番自分が若いので生徒との距離間が自然と近くなります。そのこともあって学年主任からはこの担任団発足のとき、生徒と最も距離感の近い人でいて欲しいという役割を任されました。1年目で非担のときからから生徒と自然体で付き合ってきたので特に違和感を感じることなくその役割を全うしているわけであります。でも年を取っていくと多分担任団での役割も変わっていくと思いますが、接し方はあまり変わらないようにも思うんですよね。というか変えたくないというか。

 

 先ほどのブログの中で『教員の仕事は、どうあがいても「教育目的に沿った子どもの権利の制限」という側面を持つ。だから、どこまでなら子どもの権利を制限する権力の行使が正当化されるのか、という点はとても重要だ。その分かりやすい線引きラインが「大人に対してやったら失礼なことは生徒に対してもやらない」で、僕はこれを意識してきた結果、それが「子供扱いしない」ことになったのだと思う。』とあるのですが、これは常々思っていて、生徒指導的なことにどうしても無駄な理不尽さや人として失礼だろうと思うことがあって、それに対してはいつも悩みます。年を取っていって役割が変わっていったとしても、無駄な子供扱いというか、まず人として権利があることはぶれずに行きたいと思っています。

 

 自分は友達と色んなことで遊ぶことが好きな人間で、山登りやライブを観に行くことを一人でするのも好きですがやっぱり友人と行くことが好きなんですよね。遊ぶことの企画が好きなのもこれが根本というか。これは賛否両論あると思いますが、そんな感じの関りを教師歴3年の中でしてきたなと思います(プライベートで遊んでるということではないです)。フラットに接して楽しい時間を共有してきたという感じです。部活はプライベートの時間を消費するので、システム的に問題はありますが、生徒と一緒に本気になって目標に向かって取り組んできた時間は最高でした。彼らの引退試合が現状無くなってしまったのが本当に悲しい。ただ、好きな言い方ではないですが、このような関係が生徒になめられるということも生んでいるというのは否定できない。距離感として良くない状況で、そのこといのよって悲劇的なこともあったのでこのことは自分にとって取り組まないといけない課題でもあるのだと思う。

 

 なんだかまとまりが無くなってきましたが、いつものことです。その人によって生徒との距離感や関係性は違うと思います。自分ははじめに今の考えを変えたくない、変えないとか言っていますが、じゃあ10年後にこの記事を見たときにどのように思うのでしょうか。これはブログを書く楽しみの一つですね。多分、青いこと言ってんなぁとか思うんだろうな(笑)。

 

4月26日。