I wanna go to alps.

教育のことしか書きません。たぶん。

教師はどこまで教える人なのか

 年配の先生でも当然質の高い授業はあるのはわかっているのですが、、、たまに年配の先生がその授業の内容を50分語りつくして半分の生徒は寝ている授業を廊下からチラッと見る。当然どこまで進むとか、今日の内容の肝はどこかとか、それはあると思う。では、今後間違いなく教師よりも困難な時代を生きる子どもたちのことをどこまで考えているかといったら...疑問が残る。自分はその授業の一部分しか見ていないので単元としてどう位置付けられていて、この後どんなパフォーマンス課題があるかは知らないけど、まぁでもあるならあるでもう少し雰囲気は違うと思う。

 

 

 教師の第一の仕事は目の前の子どもたちを成長させることである。これだけはぶれない。しかし時代によってどのようなことを学ばせてから社会に出ていかすべきかということは変化する。ただテストの点が取れて次の学校へ、会社へ送り込めばいいわけではないのである。しかも社会は複雑化してきているといろんなところで言われているわけで。国際化なり情報化なり、まぁそんなところ。つまり教科書の内容がわかるだけでは物足りないと言われているわけだ。実際、教科書も変わってきていて、ただ内容の説明だけでなく、このような実験をした結果こんなデータが出た、ではこれを解釈してみましょうとか、この内容は日常のこの部分に関連しているとか。この内容にALを加えて機能させよ、という意図がよくわかりますし、良い内容だと私は感じている。

 

 堀先生はよく、時代は不可逆だと言ってらっしゃいます。さらに生徒も保護者も、自分より年代が下の若手教員も、消費者精神で学校と関わるでしょう。授業だってそれこそ一斉授業のみをする教師ならアンケートの結果がとても低く返ってくる時代がくるでしょう(多分一部そうなってます)。そこで自分は、教員は変われるかという話です。この本ではネガティヴな感覚にとらわれること、意見が対立したこと、考えたくなる設定のもとで思考してみること等の経験を通し、さらに自分の考えのみならず友人とどのように考えたかまで含めて省察することで生徒に自己の変容を促そうとする、その原理・原則、堀先生の考えの提案がまとめてあるわけです。生徒に変われとはたらきかけるのに教師である自分が変わらないのなら、響くはずがありません。そんな言葉は生徒は簡単に見抜きます。この本を読んで一番感じたことは、最も変わるべきは生徒の前に立つ教員だよ、まとめてみたからとにかくやってみなよということでした。

 

 ALについては結構勉強してきたので、知っていることも多かったがよくまとめられているので今まで何気なくやっていたことが堀先生はこんな風に考えていたのかとか、これが抜けていたから機能させられなかったのか等、考えさせられた。記述が分厚いので、今後もよくチェックしていく本であることは間違いない。

 

222ページのあとがきを引用して終わり。

『たぶん「AL」とはそういう営みなのだと思う。他者を認識することは確かに「私の中の他者」に閉じられている。その意味で他者を自己の世界観の範疇を超えて理解することはできない。しかし、他者による刺激が介在することで自分自身の世界観が広がることはあり得る。そしてその世界観の広がりが「私の中の他者」の広がりをもたらすのだ。

 ただ一つ言えることは、世界観の広がりはそれを求める人にしか訪れないということである。私たちは子どもたちを世界観の広がりを求めることに導かねばならない。』

 

2月28日。明日は卒業式だ。