新人と学校現場
先日、大学院の友達、先生、後輩と飲みました。そのときに話題になったことについて、なぜか今日の朝の部活のときにいろいろと考えたので、まとめておきます。笑
ただ、忘れてはいけないことのような気がする。
とりあえず、それは次のこと
・新人は学校現場に馴染むことがまず第一。3年、むしろ1校目は我慢。
きっと、多くの先生は納得されるであろうこと。僕もとくに何か思うこともなく、俺全然馴染めてねぇわ~てノリでした。ただ、なぜかいろいろと今朝考えはじめた。なんかそれだけじゃダメだろうなと。
まず、一番はじめに思ったのは、ただ、馴染むことしか考えてなかったら、もっとどうしたら現場がよくなるかっていうことを考えなくなりそう。そんでもって、考えていたとしても、パラダイム(そのときその時代の物の見方・考え方)の転換はたいしてなさそうだってこと。経験第一主義みたいなかんじが現場にはあるので、それをぐるぐる回しているだけでは今後の教育に求められていることは出てこない、って記述がたしかこの間の溝上先生の本にあったはず。そして、それにはとても共感。静かに先生の話を聞き、板書をうつし、覚えるだけの作業を今後も続けていっていい、というのは違うでしょう。むしろ、自分の意見が言えたり、答えの無い問いに対して自分たちで考えて、納得いくような答えをだすことの方が大切だと思います。もちろん、静かに話を聞けるようにならなくてもいいというわけではありません。むしろ、できないと社会にでたら通用しない。
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ともかく、馴染むために自分を押し殺し、古くさい教育観の人に対して先生の仰るとおりでございます~と言ってるだけでは、その考えに自然と染まっていきそうだし、こっちが上の立場になったときに、次は僕たちが若手たちから古いと言われることになりそうな気がします。こうあるべきっていうのを失わないように勉強し続けないといけないし、そういったことを考えることが減ってしまっていたことに危ねぇって思いました。
さらに、次のこと。
・教育に正解はないけど、だからといって変わらなけば、被害を受けるのは生徒。
変な言い方すると、被害を受けるのは生徒。なんかこれに尽きる気がしてきた。
偉そうな感じで書いてしまいましたが、まずはいま自分がやれる範囲で質を高めていくことが大事かなと、書きながら思えてきました。こんなこと言いながらも授業はまだまだ雑魚いし、2学期終盤から2月くらいまでこなすことに必死でした。来年度から担任になり、もっと追われるんだろうけど、学年団という仲間もできたし、この人たちと一緒に目の前の生徒たちについて考えていきたい。仲間作りも来年度のテーマ。4月から物理教育学会にも入ります。このブログでもじょじょに広がっていけばいいんですが。